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吹田市立小中学校通学区(校区)

○吹田の校区表
小学校 中学校 通学区住所
千里第二小学校 第一中学校 千里山霧が丘、千里山星が丘、千里山虹が丘、千里山月が丘
千里山東1丁目~2丁目、3丁目9番~11番、4丁目
千里山高塚、千里山松が丘
山手町3丁目3番~11番
千里第三小学校 千里山西1丁目~5丁目
千里山竹園1丁目(千里新田小学校区を除く)
円山町
江坂町5丁目
岸部第一小学校 第二中学校  
岸部第二小学校 岸部北
原町4丁目21番
吹田第一小学校 第三中学校 西御旅町東御旅町元町
内本町1丁目~3丁目(吹田第三小学校区を除く)
朝日町(吹田第三小学校区を除く)
高浜町(吹田第三小学校区を除く)
南高浜町1番17号~28号、6番29号~34号、9番~10番
吹田第六小学校 寿町中の島町清和園町南清和園町川岸町
吹田第三小学校 第五中学校 昭和町高城町末広町日の出町
内本町3丁目3番1号~9号、36号~37号
         10番1号~7号、26号~27号、11番~12番
朝日町13番、25番~27番
高浜町5番~7番、9番~17番
南高浜町(吹田第一小学校区を除く)
吹田東小学校 川園町吹東町幸町南正雀平松町目俵町
吹田第二小学校 第六中学校 泉町西の庄町金田町
出口町1番 ~17番
吹田南小学校 南金田穂波町南吹田
千里第一小学校 片山中学校 片山町1丁目、4丁目
藤が丘町
天道町
原町1丁目、3丁目、4丁目(岸部第二小学校区を除く)
岸部中1丁目1番~2番、4番、5番5号~11号、13番、2丁目1番1号~18号
片山小学校 片山町2丁目~3丁目
原町2丁目
山手町4丁目
上山手町
朝日が丘町
佐井寺小学校 佐井寺中学校 佐井寺(佐竹台小学校区を除く)
竹谷町
佐井寺南が丘
東佐井寺小学校 五月が丘東五月が丘西五月が丘南五月が丘北
千里新田小学校 南千里中学校 千里山西6丁目(桃山台小学校区を除く)
千里山竹園1丁目25番~28番、2丁目(桃山台小学校区を除く)
春日(桃山台小学校区を除く)
桃山台小学校 桃山台
千里山西6丁目58番~64番
千里山竹園2丁目8番4号、2丁目17番~25番
春日3丁目12番14号、19番~20番、4丁目20番
豊津第一小学校 豊津中学校 垂水町広芝町
江坂町1丁目
山手小学校 出口町(吹田第二小学校区を除く)
山手町1丁目~3丁目(千里第二小学校区を除く)
千里山東3丁目(千里第二小学校区を除く)
豊津第二小学校 豊津西中学校 豊津町江の木町芳野町
江坂町2丁目(江坂大池小学校区を除く)
江坂大池小学校 江坂町2丁目10番~19番、3丁目~4丁目
山田第五小学校 山田中学校 山田南
山田市場9番~11番
南山田小学校 樫切山尺谷長野東長野西千里丘西
山田市場(山田第五小学校区を除く)
山田第三小学校 西山田中学校 山田西1丁目
西山田小学校 山田西2丁目~3丁目
山田第一小学校 山田東中学校 山田東1丁目、2丁目、3丁目(北山田小学校区を除く)
北山田小学校 山田東2丁目27番、29番、4丁目
山田北
山田丘
山田西4丁目(津雲台小学校区を除く)
千里万博公園(藤白台小学校区を除く)
山田第二小学校 千里丘中学校 千里丘上千里丘下千里丘中千里丘北
東山田小学校 新芦屋上新芦屋下青葉丘北青葉丘南清水
佐竹台小学校 高野台中学校 佐竹台
佐井寺4丁目
高野台小学校 高野台
藤白台小学校 青山台中学校 藤白台上山田
千里万博公園13番
青山台小学校 青山台2丁目~4丁目
北千里小学校 青山台1丁目
古江台3丁目
千里たけみ小学校 竹見台中学校 竹見台
津雲台小学校 古江台中学校 津雲台
山田西4丁目1番
古江台小学校 古江台1丁目~2丁目、4丁目~6丁目



歴史と文化

吹田市は、大阪府の北部の北摂地域に位置し、大阪市、豊中市、茨木市などに隣接しています。
市の北部は、1970年の日本万国博覧会(大阪万博)の際に開発された千里ニュータウンの一部で、府内でも転入の希望者が多い地域の1つになっています。
吹田市には、名神高速道路、中国自動車道、近畿自動車道に接続する吹田インターチェンジがあり、 大阪市内へ接続する鉄道が4路線通るほか、大阪空港(伊丹空港)へのアクセスも容易であるなど、至便な交通条件にあります。
●吹田市の歴史
吹田の地名は「行基年譜」の「次田堀川(すきたのほりかわ)」とあるのが初見で、平安時代前期に「清住寺領吹田庄」の成立が12世紀末に書かれています。 明治22年(1889年)に、地下水が豊富で水運のよい吹田に、現アサヒビール工場が開設、大正12年(1923年)には国鉄吹田操車場が操業を開始し、 "ビールと操車場の町"といわれるようになりました。大正10年(1921年)には、大阪市内とを結ぶ北大阪電鉄も開通し、大阪市の商況業の発展にともない、近郊住宅街として開けました。 明治41年(1908年)に町政を敷いた吹田は昭和15年(1940年)に豊津村、岸辺村、千里(ちさと)村と合併、人口6万3181人の吹田市が誕生しました。 戦後、昭和28年(1953年)に下新田と、同30年(1955年)には山田村と合併して現在の市域に。これらの合併が千里ニュータウンや万博、大学用地としての新しい時代に基礎となりました。 2000年には市制施行60周年を迎え、さまざまな記念行事が開催されました。さらに2001年には「特例市」となり、これまで以上に地域の実情や環境に応じたまちづくりを進めることができるようになりました。
●吹田市の現在
≪太陽の塔≫
日本万国博覧会の際に建設された。故 岡本太郎氏の作品。大阪モノレールの車輌基地建設に伴う土地の売却で得た資金により、 以前大規模な改修工事が行われ、現在も万博跡地の自然文化園内に健在である。
太陽の塔
≪国立国際美術館≫
自然文化園内にある。園内には他に、日本庭園、国立民族学博物館、府立国際児童文学館がある。 また、周辺には J リーグガンバ大阪のホームスタジアムの万博記念競技場やクラブハウス、住宅展示場「ABC HOUSING」、ホテル大阪サンパレスや、多数のスポーツ施設もある。
国立国際美術館
≪メイシアター(文化会館)≫
大・中・小ホールとレセプションホール、展示室などがある吹田市の施設で、様々なイベントに利用されている。 大ホールの約1,400名収容できる。市が運営する主な施設として他に、総合運動場、博物館、武道館、コミュニティーセンターなどもある。
メイシアター
≪旧吹田村醸造所建物≫
吹田村醸造所(現アサヒビール吹田工場)の建物は、工場内に現在も残っている。 ビール工場と共に吹田の発展を支えた旧国鉄の操車場の跡地(JR 京都線吹田駅~千里丘駅付近)は再開発地域として、貨物駅などとして利用する計画がある。
旧吹田村醸造所建物

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